このページの本文へ移動

ここから本文です。

第64回じまんの家族図画・作文コンクール
NTT西日本沖縄支店賞(作文の部)

翔南小学校 4年 桃原 光結

おじいちゃんとおばあちゃん

 私には、おじいちゃんとおばあちゃんがいません。母は両親がいないので、母の方のおじいちゃんとおばあちゃんはいません。父の方のおじいちゃんとおばあちゃんは、私の家でいっ しょに住んでいたそうです。でも、おばあちゃんは兄が生まれる前に亡くなり、おじいちゃんは私が一才になる前に亡くなったそうです。だから、仏だんにはられている写真でしか、お じいちゃんとおばあちゃんを見たことがありません。写真のおばあちゃんは、とても美人でやさしそうで顔が父にそっくりです。おじいちゃんは、全然似てなくて、小さいです。
 夏休みや連休になると、クラスでおじいちゃんやおばあちゃんの家にお泊まりしたりとか、いっしょにお出かけして何か買ってもらったという話をよく聞きます。学校や学童におじい ちゃんやおばあちゃんがおむかえに来る子もたくさんいます。私は、それがとてもうらやましいです。そのことを話すと、父がおじいちゃんとおばあちゃんの話をしてくれました。
 私のおじいちゃんは、栄仁という名前で、三線のチィーガという部品を作る職人で「こきゅう」という楽器の先生だったそうです。おばあちゃんは、キヨ子という名前で「こと」の先生 だったそうです。二人ともたくさんのお弟子さんがいて、夜になるとお弟子さんがおけいこにくるので、家の一階はいつも人がいっぱいだったと父は話していました。父は一人っ子なの で、早く孫がほしいと言われていたので、母と結こんした時は大喜びで、母が兄をにんしんした時は、二人とも泣いて喜んでいたそうです。私が生まれた時もおじいちゃんはとても喜 び、毎日私をだっこしに来てくれたと、うれしそうな顔で私をだっこする写真を見せてくれました。
 もし、おじいちゃんとおばあちゃんがいたら、きっとピアノの発表会にも来てくれただろうし、習字でもらった賞状を見せたら頭をなでてほめてくれただろうな…と想ぞうすると、おじ いちゃんやおばあちゃんのいる子がますますうらやましくなりました。
 でも私は、さびしい気持ちにはなりません。どこへでも連れて行ってくれて、毎日苦しいくらいハグしてくれる父と、おしゃべりに付き合ってくれる母、肩車やおんぶをしてくれるやさ しい兄がいてくれるからです。それに仏だんの行事の時に、いつも父と母が、
 「おじい、おばあ、みゆも大きくなって、毎日元気いっぱいだよ。がんばってるよ。」
と、仏だんの写真に話しかけながらウートートーするので、いっしょに住んでいるようなふしぎな気持ちになるからです。
 頭をなでてもらうことも、手をつなぐこともできないけれど、私の心の中にはいつもおじいちゃんとおばあちゃんがいます。おじい、おばあ、これからも天国で見守っててね。

  1. ※掲載画像の無断複写・複製・転載はご遠慮ください。

前のページに戻る