堀越 信司インタビュー~自分の走りを貫きとおして、銅メダル獲得~
4度目のパラリンピックの舞台となる東京で、ついに銅メダルを獲得した東京2020パラリンピック 陸上競技 男子マラソン T12(視覚障がい)日本代表・堀越信司選手。2013年の東京開催決定から8年、抱き続けてきた「自国開催の東京2020パラリンピックの舞台で結果を出す」という強い思いで、ゴールまで駆け抜けた。そんな堀越選手にメダルを手にした率直な思い、レースの振り返り、そして、今後に向けた思いなどを聞いた。
銅メダルの獲得、おめでとうございます。メダルを手にしての率直な思いは?
「獲れてよかった」。それに尽きます。北京2008パラリンピックが予選落ち、ロンドン2012パラリンピックが5位、そして前回のリオ2016パラリンピックが4位で、今度こそという思いはありました。様々な国際大会、アジアパラ、世界選手権とかでメダルは取っていたのですが、パラリンピックのメダルだけは手が届いていなかったので、今度こそという思いは強かったです。
それに自国開催ということが、その思いを特別なものにしていました。自分が自国開催のパラリンピックでメダルを獲るという経験は、今回を逃したら無いわけですからね。チャンスをなんとかものにしたい、という思いが結実してメダルに直結したことは本当に嬉しかったです。
レース後、ご家族や仲間、会社の皆さんと、どんなお話をされましたか?
もう、皆さん本当にとても喜んでくれました。所属しているNTT西日本の小林社長も本当に喜んでくださって。両親とは直接会ったわけでは無いのですが、電話でメダル獲得をとても喜んでくれました。
実は、1988年の9月5日は、奇しくも生まれて2ヶ月弱で僕が目の手術をした日だったんです。今回、新聞記事で初めて知ったのですけど、びっくりしました。自分自身、視覚障がいということで悩んだ時期、苦悩した時期もあったんですが、それ以上に両親が苦悩していたと思うんです。マラソンが9月5日に開催されると決まってからも、両親からは何も言われなくて。きっと抱えていたんだと、今回あらためて感じました。結果的に、本当に僕らにとっての因縁とも言える日に、パラリンピックのマラソンを走ってメダルを獲れたことに、「本当に神様っているんじゃないかな」と思うくらいに不思議な巡り合わせを感じています。
5月は足の故障もあり、苦しまれたとのことですが、そこから見事に立て直してスタートラインに立たれました。
いや、本当に5月の時点ではどうしようかなと、不安しかありませんでした。ただ、そこで諦めずに、徐々に調子を上げて、7月の北海道合宿でかなり調子を上げることができました。この合宿の時期、日本で一番北海道が暑くなってしまうアクシデントもありましたが、逆にそんな中で40km走などにも取り組めたのが良かったかもしれません。8月に再度北海道合宿を行った際は、逆に寒すぎて・・・(苦笑)。何とかしなきゃと考えて、ホテル近くの銭湯で毎日サウナを利用するなど、暑さ対策を続けていました。
そうやって暑さ対策を怠らずに取り組んでいたら、実際のレース当日の気候は、雨でなおかつ気温も低めという絶好のマラソン日和で、少し拍子抜けはしました。ですので、暑さ対策で考えていたことをいくつか間引いて、スタートラインに立ったんです。
実際に東京2020パラリンピックのコースを走ってみて、いかがでしたか?
率直に、あのコースはキツかったです。戦略的な話にもなるのですが、最初に下り坂がきて、東京の街中を駆け抜けて、そして最後は下った分を駆け上るという特殊なコースなので、本当に頭を使って走らないといけない。実際、歩道で試走はしていたので、その想定のもと走りましたが、やはり実際に走ると想定以上に足を使わされるコースでした。沿道に観客の方がいて声をかけてもらうなどしていたら、レース独特の高揚感もあり、ペースを上げそうになってしまったのですが、そこはぐっとこらえて自分のペースで淡々と走りました。
レースというのは流れがあるので、集団で走っていたら仕掛けてきたり、余計なことをする選手もいます。マラソンは1人対集団の種目なので、自分のプラン通りに走らせてもらえるかというと、必ずしもそうではない。時と場合によりますけど、集団に乗っておかないとメダルを取りこぼすということもあります。ですので、集団の中で動きがあった時、そこについていく判断をするのか、自分のペースを貫くか。とはいえ、やはりパラリンピックとなるとレースの重みが違います。しかも僕にとっては東京2020パラリンピックという、特に強い思いがありました。そこでメダルが獲れるかどうかというのはとても大きいこと。そんな中ではありますが、今回は流されず、自分の走りに徹したことが、メダル獲得につながったと考えています。
そんなことを考えていたので、コースを楽しむまではできませんでしたが、東京の街中を走れてよかったなとは思っています。雷門とか、スカイツリーは目に入ってきましたし。
以前「皆、山は最後の上りだと考えていると思うが、実は本当の山は最初の下りでどれだけ抑えられるか」とおっしゃっていました。今回、その戦略がバチッとハマったのでしょうか?
そうですね。前半は抑えて、終盤の上り坂で落ちてくる選手がいるだろうから、それを一つずつ拾っていくという戦略を立てていて、そのためにどれくらいのラップで走っていくかを代表のコーチとも話していました。結果的に、想定ラップに近い走りでゴールまで走って行けたので、作戦勝ちだったかなと思います。
細かいところでいうと、5kmから10kmのところで集団に動きがあって、結構離されていた時間もあったんです。自分の目で追いきれないくらい集団と離れたりもしたので、不安と葛藤はありました。行かなかったことでメダルに届かなかったらどうしようとか。でも、自分でこうすると決めたのだから、それで無理なら相手が一枚上手だったと思うしかない、と自分のペースを崩さず淡々と走り続けました。するとだんだん前との差が詰まってきて、最終的には20km手前で一つの集団になって、また20kmくらいのところで大きな動きがあって、という展開でした。しかし、自分の勝負どころは最後の上り坂だと我慢をして、30kmからは逆にペースを落とさないように、しっかり粘る意識で行きました。
しかし、30km以降は、本当にキツかったです。想定はしていましたが、それよりも随分早くにキツさを感じ始めました。最初の下り坂、抑えていたつもりでしたが、予想以上にダメージがあったんだと思います。スピードを抑えるために前腿の筋肉を使ったのがボディブローのように効いてきたのが30kmくらい。そして最後の上り坂、本当にキツかったのですが、「諦めず走り抜く」と決めていたので、必死で走り続けました。
そうそう、表彰式の際、1位と2位の選手と話したんですが、「今回の東京2020パラリンピックのコースはクレイジーだ」という話でとても盛り上がりました。皆、相当キツかったんだろうなって、改めて感じましたね(笑)。
今回、メダルに手が届いた!と感じたのはどの時点だったのでしょうか?
実は、中盤などでは、視覚障がいの選手だけではなく、腕の障がいの選手も集団になって走っていたので、正確な順位はわからなかったのです。ただ追い抜くことはあっても追い抜かれることはなかったので、順位は落としていないとだけ認識していて、とにかく前を追っていく、それだけを考えていました。
最終的に35kmを過ぎた時点で、沿道からちょこちょこと「3位狙えるぞ!」「銅メダルいけるぞ!」とか、聞こえはじめたんです。じゃあこのまま諦めず走り続けるぞ、と思っていたら、37kmを過ぎたあたりで「今3位!」という声が聞こえてきて。とはいえ、最後の坂で失速したり、上り切ってもそのあと失速したら絶対追いつかれると思ったので、必死にペースを落とさないように走り続けました。最終的に、メダルいけるなと確信できたのは、スタジアムに入って後ろを振り向いて、自分の視力で見えるところに誰もいなかった時です。「よし!」と思わずガッツポーズしていました。そこからの100mは、油断はしなかったですけど、安心して、ゴールまで駆け抜けた、という感じです。
具体的にどこで3位の選手を抜いて3位に立ったかはわからないんです。でも、本当に最後まで諦めず、力を出し切っての銅メダルだったなと。できれば、そういう大事なシーンをしっかりとテレビで映してもらいたかったんですけどね(苦笑)。そこが心残りではあります。
ゴールの瞬間など思わず涙を流されているシーンもありましたが、どんな思いを抱いていたのですか?
ゴールの時、表彰台の時、色々な思いが溢れてきましたので・・・。ここに来るまで、色々なことがありました。きついことも悔しいことも本当にたくさん。それを、所属している会社の皆さん、サポートをしてくれる方々など、多くの皆さんが支えてくれたからこそ走ってこれたという思いとか、色々な気持ちが込み上げて感極まってしまいました。
そんな思いがゴール直前の拍手につながったのですね。
やはり、皆さんにありがとうという気持ちがほとばしって、ついつい拍手が出ちゃいました。自分を支えてくれた人たちへの感謝の気持ちです。
僕は、2018年から、会社にわがままを言って陸上競技部本体からは離れて、単独で競技をさせてもらってきました。もし、あの時、環境を変えるという決断をしていなかったら燃え尽きてしまって、東京2020パラリンピックで走れていなかったかもしれません。逆に、それだけわがままを言わせてもらって、環境を変えたのに結果が出せないということは許されないので、何としてもやってやる、という思いも芽生えました。
そうやって自分が信じた道を貫き通して、こうやって獲れたメダルということもあって、安心しましたし、信念を貫き通してのメダルだったので、嬉しかったです。そして、僕を支えてくださった社員の皆さん、仲間たちに、何か少しでも感動を与えることができていたのなら、本当に嬉しいですし、選手冥利につきるという思いでいっぱいです。
レース後、早々ではありますが、パリ2024パラリンピックに向けてのお話もされていました。
今はまず、ゆっくりと5年分の疲労をしっかりとりたいなと(笑)。とはいえ、来年からはパリ2024パラリンピックに向けて本格的に動いていきます。まずはロンドンマラソンに向けてしっかりとコンディションを上げていき、結果を出して、パリに向けて進んでいきたいと思っています。
ただ、今回、1位・2位の選手もそうですし、世界的に見ても本当に急激にレベルが上がってきているのを肌身で感じましたので、どうにか彼らとの差を埋めて戦えるようにしたいです。パリ2024パラリンピックまでの3年間は、今回銅メダル獲得を支えてくださった方々への恩返しの期間でもあると思いますので、その思いに応えられるように、パリ2024パラリンピックの舞台をめざして取り組んでいきます。
パリ2024パラリンピックに向けて、どのようなことに取り組んでいこうとお考えですか?
やはり、根本的な走力をつけなければならないと思っています。ワンランク上に行くには、ペース設定の部分を1kmあたり数秒上げたり、基本的な練習内容の流れは変えなくても、走り方の工夫、力を使って走ってしまうところを改善していくなど、まだできることはあります。あと、マラソンは体一貫で勝負する競技で、唯一使えるのはシューズだけです。自分は厚底シューズを使っていますが、そのシューズを存分に活かすには体を変えていくしかありません。今、その一環としてヨガに半年くらい通っているのですが、そういうものも積極的に取り入れていきます。ヨガも3年続けていけば確実に成果が出るはずです。そうやって地道な部分でしっかり変えられるところをやって、プラスに変えていく工夫をしていきます。
では、最後に一言、お願いします。
東京2020パラリンピックでは、皆さんの応援に支えていただき、銅メダルを獲得することができました。最後の上り坂も本当にキツかったのですが、そういう辛い時、皆さんの存在が力となって、最後まで諦めずに走りきることができました。獲得できた銅メダルは、皆さんの支えによって獲れたという思いがあり、物理的な重さ以上に自分にとっては重みを感じるメダルです。
今回、銅メダルを獲得できましたが、1位・2位の選手には随分差をつけられてしまいました。3年後、パリの舞台では、彼らとしっかり戦えるように一から努力して臨みます。本当にありがとうございました。
堀越選手から皆様へ感謝のメッセージ
開催年 | 大会 | 結果 |
---|---|---|
2010 | 広州アジアパラゲームズ | 5,000m 銀メダル |
2011 | IPC陸上世界選手権 (ニュージーランド・クライストチャーチ) |
10,000m 5位 5,000m 6位 |
2012 | ロンドン2012パラリンピック競技大会 | 5,000m 5位 |
2014 | 仁川アジアパラゲームズ | 5,000m・1,500m 金メダル |
2015 | ロンドンマラソン 兼 IPCマラソン世界選手権 | フルマラソン 銅メダル |
2016 | リオ2016パラリンピック競技大会 | 陸上競技 男子マラソンT12 4位入賞 |
障がい者スポーツ
堀越選手が参戦する障がい者スポーツについてご紹介します。
障がい者スポーツには様々な種類があります。
屋外での個人スポーツ
- 陸上競技
- 自転車
- アーチェリー
- 車いすテニス
- ローンボウルズ
- 馬術
- ゴルフ
- トライアスロン
- フライングディスク など
屋外での団体スポーツ
- グランドソフトボール
- フットベースボール
- ソフトボール
- 野球
- サッカー
- 5人制サッカー
- 7人制サッカー など
屋内での個人スポーツ
- パワーリフティング
- ボウリング
- 射撃
- 柔道
- 車いすフェンシング
- 車いす空手
- バドミントン
- テコンドー
- ボッチャ
- 車いすダンス
- 車いすビリヤード
- 卓球
- サウンドテーブルテニス
- ブラインドテニス など
屋内での団体スポーツ
- 車いすバスケットボール
- 車いすツインバスケットボール
- シッティングバレーボール
- ウィルチェアーラグビー
- ゴールボール
- 車いすハンドボール
- 電動車いすサッカー
- 卓球バレー など
ウォータースポーツ
- 水泳
- ローイング
- シンクロナイズドスイミング
- カヌー
- セーリング
- スキューバダイビング など
ウィンタースポーツ
- アルペンスキー
- クロスカントリースキー
- バイアスロン
- アイススレッジホッケー
- 車いすカーリング など
障がいといっても、腕や脚、視覚、聴覚などその種類はさまざまで、程度も人によって異なります。障がい者スポーツでは、障がいの種類や程度によってクラスを分け、そのクラス内で順位を競っています。
たとえば視覚障がいでは「T11、T12、T13、T14」と4クラスに分けられており、軽度弱視の選手は単独で競技し、全盲や重度弱視の選手は晴眼の伴走者がサポートします。
堀越選手はT12クラスに属し、伴走サポート無しで以下のような大会に出場しています。
- IPC陸上競技世界選手権大会
- ジャパンパラ陸上競技大会
- 日本パラ陸上競技選手権大会
- 関東身体障がい者陸上競技選手権大会