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盛り込まれた技術。しかし、それだけ では大衆の手に届くスーパーカブは 実現しなかった。  誰もが快適に乗ることができるも のを作るためとはいえ、新技術や新素 材をふんだんに投入し開発をすると、 当然大衆の手に届かない価格になっ てしまう。そこで、初代副社長・藤沢 武夫氏が考えたのが、発生したコスト を大量生産で吸収し、低価格に抑える という手法だった。しかし、そのため の工場建設には莫大なコストだけで はなく、時間も要する。用地買収、施 設設計、建設、生産設備投入、そして 従業員の修練。とても一朝一夕ででき るものではない。  そこで、藤沢氏は、スーパーカブの 大ヒット前から専用工場建設を計画 し、1960年には三重県鈴鹿市に専 用工場を完成。すでに爆発的なヒット 商品となっていたスーパーカブの量 産体制は盤石となり、ホンダの快進撃 が始まることになったのだ。先見の明 で、ホンダの経営面を支えた藤沢氏  スーパーカブを語るうえで欠かせ ないのが、開発を指揮した創業者・本 田宗一郎氏が掲げ、現在もなお不変の 「経済的で耐久性に優れ、難しい操作 をせずに快適に移動でき、ひとりでも 多くの人に安価で提供できること」と いうユーザーを最優先に考えた基本 思想だ。  「右手と左足だけで変速できる」 「悪路走破性が高い」「多少の雨や泥 などから下半身を守る」「メンテナン スフリー化」「低燃費で経済的」と いった要件を満たすために、当時革新 的だった新技術が惜しげもなく投入 された。しかし、当然そこにはコスト の壁があった。開発当時の担当者たち の話を聞いてきた広報部の二輪広報 ブロック主任である高山正之氏はこ う語る。  「当時、本田宗一郎は、常に『金がな いのはわかっている。ただ、それとア イデアがないのは別だよ』といって いたそうです。担当者たちは、その言 葉に発奮して日々知恵を絞り、要件 を満たせるかを考え続けていたとい います」  アイデアは無限.。その考えで、妥 協せず全身全霊をもって考え尽くし、  多くの人々に支持され、郵便配達、 新聞配達、そばの出前など、人々に とって欠かせない移動手段として、世 界 15 ヶ国で生産され、延べ160ヶ国 以上で愛用されてきたホンダのスー パーカブ。1958年に誕生してから 今まで、人々の生活に当たり前のよう に溶け込み、信頼.され続けている 理由は何なのだろうか。 は、こう言っていたという。  「スーパーカブもいずれは他社にま ねをされるだろうが、他社よりも3年 先を行っていれば、おいそれとまねは できない。アドバンテージを守り続け られる」  技術力でスーパーカブを生み出し た本田氏。そして、その脇を経営面で 支えた藤沢氏。その根底にあったの は、「乗る人が操作しやすい、使い勝 手が良い、乗ることで生活が豊かにな り、楽しくなる」ものを、そして「安価 金はなくても アイデアは無限. 他社の3年先をいければ まねをされてもいい 誰にでも乗れる.  地球一の乗り物― 。 半世紀不変の 妥協しない基本思想 本田技研工業株式会社 様々なバイク、クルマが世の中にあふれる現在。地球上で最も多く走り続けて いるといわれているのが、1958年に誕生した本田技研工業株式会社(以下、 ホンダ)の「スーパーカブ」だ。その登場により、人々の生活を一変させ、「世界 のホンダ」というブランドイメージを作り上げたスーパーカブ。半世紀以上にわ たって、世界中で信頼され続ける商品がどのように生まれ、現在に至ったのか。 その秘密に迫る。 特 集 第一線を走り続ける理由 FRONT RUNNER 信頼 テーマ 5  vol.19  vol.19 4