1.2 端末機器開放の歴史

 明治23年電信電話サービスが開始されて以来、電気通信に利用される端末機器は逓信省また は電電公社よりのレンタル機器(直営機器)しか許されない時代が長く続いた.しかしながら、 昭和28年8月1日施行の公衆電気通信法第105条により利用者設置の端末機器でも使用に当たっ て電電公社の技術基準適合検査を受け、それに適合すれば電電公社はその端末の接続を妨げない とが規定された.「端末開放」である.ただし、本法の適用は構内交換設備、船舶に設置する加 入電話の設備、専用回線の端末機器のみに限定されていた.

 昭和32年5月には、利用者が転換器等で切り替えることにより電話1回線に複数端末機器(付属 電話機)を接続することが制度化され、この付属電話機についても利用者自身が設置する自営端末 機器が認められた.しかし、電話回線毎に1台は必ず電電公社の直営機器(本電話機)を設置する ことは依然義務付けられたままだった.

 昭和33年及び44年に公衆電気通信法第105条が改正され、それぞれ地域団体加入電話、集団電 話が法制度化され、それぞれの自営端末設備の設置が可能となった.

 昭和47年には電話網をデータ通信に利用することが可能となった(網開放).この際、データ 通信用の端末機器は利用者自身による自営が原則となったため、データ通信に限っては本電話機 (正確には本データ端末機器)が開放されたこととなった.だが、通話で利用する場合は上述し た付属電話機を除き電話機は依然として直営が原則であった.

 昭和60年の電電公社民営化に伴い、制定された電気通信事業法第49条において、接続しよう とする端末設備が技術基準等に適合していれば、第一種電気通信事業者は、その接続請求を一般 的に拒むことが出来ないことを規定したことにより、本電話機を含めた全ての端末機器の開放が実現した.

図1.2 端末機器開放の歴史

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