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西暦五九三年、推古朝のころの史料に「東は玉造に四天王寺をつくり、西の方洲の中に御堂を建立」の記録があるという。また、延宝三年(一六七五年)に書かれた古文書「芦分船(あしわけぶね)」にも「聖徳太子が四天王寺創建時に建築用材の運搬船が暴風雨で難破、洲の中に流れつきお堂を建てた」との記述があり、これが薬師堂の起源と言われている。
海上を航行する船から、このお堂がよく見えたところから、薬師堂のある島が「堂島」の地名になったとも言われている。
お堂内には、薬師如来像、地蔵菩薩像、弘法大師像など仏像四体と、ねはん図など軸二本がおまつりしてある。薬師如来像は室町時代の作と鑑定されているが、その由来は定かではない。また弘法大師像は薬師如来像よりも歴史が古いと伝えられており、明治二六年(一八九三年)からの大阪太師詣りの行事では薬師堂を第一番の霊場として、一日数十万人の参詣者で賑わうほどであった。
堂島薬師堂は堂島の世相、経済と連動しながら栄枯盛衰を繰り返し、現在は月二回の法要と、節分の日に厄払いと鬼追いの行事を行っている。

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